6-4(3).質問と回答 4の続き(2)

質問4の続き(2) 質問ですが、法蔵菩薩が阿弥陀仏になる際に、私を救うために、果てしない時間修行をし、阿弥陀仏の名号を作られたとのことですが、阿弥陀仏の視点で考えた時に、私に名号を渡す苦労と名号を作ったときの苦労を比較したら、渡す苦労なんて大…

6-4(2).質問と回答 4の続き

質問4の続き 法蔵菩薩から阿弥陀仏になるにあたり、48願成就しなければ仏にならないと誓われていますが、全ての衆生、虫、鳥、草木等の類全てを救い終えて初めて法蔵菩薩から阿弥陀仏になれるという意味ではなく、全ての衆生を救うために、法蔵菩薩が修行…

6-4.質問と回答 4

質問4 質問ですが、なぜ法蔵菩薩は、今現在救われていない人がいるにも関わらず、阿弥陀仏になることができたのですか? 48願が成就しなければ仏にならないと誓われており、10劫前に仏になったとのことですが、救われていない人がいる時点で仏になれな…

1-26.行の否定

観経下々品の称名念仏の勧め(転教口称)から分かることは、如来の救いにおいては、称名する以外のすべての行は往生の行として廃(廃立の廃)されている、あるいは廃されるべきだということ。大経願成就文の「聞其名号信心歓喜」の教えから分かることは、聞く以…

6-3.質問と回答 3

※6/3公開のものから加筆しましたので差し替えます 質問3 わかりやすい文章で、 いつも読ませていただいています。 質問ですが、18願を読んでいる限り、救われるには念仏をすることが必要だと思われますが、念仏せず、聞くだけで救われる根拠はなんでし…

1-25.観経と大経の信・行一致2 安心と起行

観経の上品上生に、至誠心、深心、回向発願心の三心が説かれていますが、善導の指南によれば定散十六観に共通する三心であるとされています。しかし、下々品に登場する臨終の悪人は善行はなく悪行ばかりの愚人であるとされていますので、自前で三心を具すこ…

1-24.観経と大経の信・行一致

観経の下々品には、善知識が臨終の愚人に対して妙法を説いたが、この愚人は苦に責められて念仏するいとまがない。そこで善友は、教えを転じて口称を勧め、「なんじ、もし仏を念ずるあたわずは、まさに無量寿仏の名を称すべし」と告げた。愚人はその勧めを受…

6-2.質問と回答(2)

最初の質問1に対する回答に関し、さらなるご質問を頂きました。質問部分を いくつかに分割してコメントないし回答します。 「質問前書き部分」 ご回答をいただいての率直な感想を申し上げさせていただきますと、「非常に難しい」 もっと正直に申し上げさせ…

6-1.質問と回答(1)

質問 私はまさに「如来の慈悲がいただきたい、わかりたい」と思っています。 それでこうしていろいろブログなどを拝見させていただいているのですが、なかなか腑に落ちません。「如来の慈悲が私に届いていると分かったとき、もらい方を問題としなくて良いこ…

3-13.念仏すれば救われますか? の質問にどう答えるか。

A君 真宗において、なかなか救われずに苦労している人は、どうしたら救われるのですか、念仏称えたら救われるのですか、と真剣に問われることがあるよね。君なら何と答える? B君 「救われる」という事をその人はどう考えているのでしょうか。浄土往生でき…

2-26.念仏はあっちとこっちをつなぐもの

念仏はもともと如来の側に属するものですが、如来の側と私の側とをつなぐものです。それが如来のお約束事です。 「如来のお約束事」とは、 如来が私を救済する手段として南無阿弥陀仏を選び取り、私に受け取らせん、称えさせんと誓ったのが如来の十七願のお…

2-25.真実の自己って何だ?

真実の自己を知れ、という人がいます。「真実の自己」というのは、どういうことでしょうか? 真実の自己を「知る」とはどういうことでしょうか? 「真実の自己」とは、自己という固有のものは存在せず因縁に従って生起し滅する自己のことでしょうか。 「知る…

2-24.あっちとこっち

普段の思いや臨終の思いは信と無関係である、といわれます。臨終にどのような思いになっても信を得ていないとは言えないし、信を得たとも言えない、ということです。 どうして、そのようなことが言えるのか、考えてみましょう。 私の内心の意識や思いを仮に…

2-23.念を成じる

元祖の十七条御法語は、元祖の晩年の御法語であるとされています。その第十条には、 往生の業成は、念をもって本とす。名号を称するは、念を成ぜんがためなり。念すなわち懈怠するがゆえに。常恒に称唱すればすなわち念相続す。心念の業、生を引くがゆえなり…

2-22.声につきて決定往生の思い

声につきて決定往生のおもいをなせ。 煩悩のうすくあつきをもかえりみず、罪障のかろきをもきをも沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と唱えて、声につきて決定往生のおもひをなすべし。 法然聖人 つねに仰せられる御詞(二十七条御法語) 声につきて決定往生の思…

1-23.正定業と助業との違い

善導大師は、正行を「阿弥陀仏への礼拝、浄土三部経の読誦、阿弥陀如来の浄土の観察、称名念仏、讃嘆供養」をいうと指定され、そのうちの称名念仏を正定業、その他は助業とされました。 称名念仏を正定業とするのは、称名念仏が十八願に誓われているからです…

1-22.念々不捨者

元祖は、一念十念に往生すといへばとて、念仏を粗相に申せば、信が行をさまたぐる也。念々不捨者といへばとて、一念十念を不定におもへば行が信をさまたぐ也。故に信をば一念に生まるととりて、行をば一形にはげむべし。 禅勝房に示す御詞と言われています。…

5-2.地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く?

地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く? “ 自力一杯求めて自分は善ができぬ悪人と知らされたとき、地獄は一定と地獄の 釜の底にたたき落とされると同時に如来の呼び声を聞いて助かる。”と説き、だから、“ 精一杯善をせよ。” と勧める人がいる。 これって、本当…

5-1.信が生じる論理 

“如来の声を聞けば、名号を与えられて信が生じる。” この表現 あり? なし? A君 “如来の声を聞けば、名号を与えられて信が生じる。”という言い方は、ど うだろうか、何か問題はあるかな? B君 何か、違和感を感じるなぁ。 A君 どんなところに違和感を感…

4-11.自分の解決課題ではない(課題の分離)

冒頭の「課題の分離」とは、相手の課題に対して、それは私の解決すべき課題ではないと切りはなすことです。 あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。 アルフレッド・アドラー …

4-10.どうしたらいただけるの

どうしたら慈悲を頂けるのかと悩んでいたことは、大きな思い違いが原因でした。 私の方が何かをどうにかしなければならないと思っていました。しかし、それが思い違いでした。何かをどうにかするということではありませんでした。慈悲が届いていることを聞け…

4-9.いただけた

慈悲には形がありません。そもそも慈悲というものがどういうものか、分かりません。分からないものをいただくことはできません。ここが乗り越えられない壁でした。八方塞がりでした。法話を聞いても、「分からない、分からない、全く分からない。」といつも…

4-8.いただく

「私をもろテー、おッ気軽に。どなたでも。」の「もろテー」は、嫁に「もろテー」ということで、夫となる人からみれば、お嫁にきていただくということです。 真宗でも「いただく」ということがあります。その場合は、お慈悲をいただくといいます。いただくの…

4-7.おッ気軽に

如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 お気軽に乗って下さい。 以前、関西の女性2人の漫才師がおりました。背が高い方と背の低い方でした。背の高い方がぼけ役、背の低い方がつっこみ役でした。背の高い方は、婚期を逃したことを漫…

4-6.乗っちゃえ

如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 旧知の方がそう私に話をしてくれました。 お見事です。 善導の二河白道のたとえの「すでにこの道(白道)あり。・・決定して道を尋ねてただちに進んで」とあるように、白道に足が乗る瞬間が「乗っ…

4-5.お節介者

如来は限りなくお節介者です。頼まれもしないのに救うというのですから。 しかも、そのお節介ぶりは、十劫の昔からというのですから相当なものです。いつまでそのお節介が続くのかと言えば、私を救うまでです。 私に残された道は、もう、あきらめるしかあり…

4-4.如来の気

如来は私を助ける気。私は助けて貰いたい気。 これであれば互いに気が合いそうですが、実際には合いません。 どうしてでしょうか。 如来は私を無条件で救う気。 このままで救われるというが、私は、このままで救われた気にはなれないと思っているからです。 …

4-3.方向違い

分かったことは、方向が違っていたということです。 自分の努力次第で信を得られると思っていましたが、そうではありませんでした。自分に何かが足りないから救われないのだと思って努力していましたが、そうではありませんでした。既に如来は救うと言われて…

4-2.お差し支えなし、ご注文なし

妙好人にはすぐれた言動が数多く残されていますが、お園さんという有名な妙好人には、次のような伝記が残されているようです。-以下、引用-出典(「妙好人と生きる」著者亀井鑛氏) 伊勢の一婦人、自身の胸の始末にかかって、ちょっとも仰せを受け付けずに苦…

4-1.当たり前と妙好人

私の数少ない法友仲間の1人がブログで書いています。妙好人という言葉を使わないようにしている、と。 信がわかったといっても、人に自慢するようなものではないし、人から特別にほめられるようなものではないし、だれでもが領解できる当たり前のことだとい…