5-2.地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く?

地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く? “ 自力一杯求めて自分は善ができぬ悪人と知らされたとき、地獄は一定と地獄の 釜の底にたたき落とされると同時に如来の呼び声を聞いて助かる。”と説き、だから、“ 精一杯善をせよ。” と勧める人がいる。 これって、本当…

5-1.信が生じる論理 

“如来の声を聞けば、名号を与えられて信が生じる。” この表現 あり? なし? A君 “如来の声を聞けば、名号を与えられて信が生じる。”という言い方は、ど うだろうか、何か問題はあるかな? B君 何か、違和感を感じるなぁ。 A君 どんなところに違和感を感…

4-11.自分の解決課題ではない(課題の分離)

冒頭の「課題の分離」とは、相手の課題に対して、それは私の解決すべき課題ではないと切りはなすことです。 あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。 アルフレッド・アドラー …

4-10.どうしたらいただけるの

どうしたら慈悲を頂けるのかと悩んでいたことは、大きな思い違いが原因でした。 私の方が何かをどうにかしなければならないと思っていました。しかし、それが思い違いでした。何かをどうにかするということではありませんでした。慈悲が届いていることを聞け…

4-9.いただけた

慈悲には形がありません。そもそも慈悲というものがどういうものか、分かりません。分からないものをいただくことはできません。ここが乗り越えられない壁でした。八方塞がりでした。法話を聞いても、「分からない、分からない、全く分からない。」といつも…

4-8.いただく

「私をもろテー、おッ気軽に。どなたでも。」の「もろテー」は、嫁に「もろテー」ということで、夫となる人からみれば、お嫁にきていただくということです。 真宗でも「いただく」ということがあります。その場合は、お慈悲をいただくといいます。いただくの…

4-7.おッ気軽に

如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 お気軽に乗って下さい。 以前、関西の女性2人の漫才師がおりました。背が高い方と背の低い方でした。背の高い方がぼけ役、背の低い方がつっこみ役でした。背の高い方は、婚期を逃したことを漫…

4-6.乗っちゃえ

如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 旧知の方がそう私に話をしてくれました。 お見事です。 善導の二河白道のたとえの「すでにこの道(白道)あり。・・決定して道を尋ねてただちに進んで」とあるように、白道に足が乗る瞬間が「乗っ…

4-5.お節介者

如来は限りなくお節介者です。頼まれもしないのに救うというのですから。 しかも、そのお節介ぶりは、十劫の昔からというのですから相当なものです。いつまでそのお節介が続くのかと言えば、私を救うまでです。 私に残された道は、もう、あきらめるしかあり…

4-4.如来の気

如来は私を助ける気。私は助けて貰いたい気。 これであれば互いに気が合いそうですが、実際には合いません。 どうしてでしょうか。 如来は私を無条件で救う気。 このままで救われるというが、私は、このままで救われた気にはなれないと思っているからです。 …

4-3.方向違い

分かったことは、方向が違っていたということです。 自分の努力次第で信を得られると思っていましたが、そうではありませんでした。自分に何かが足りないから救われないのだと思って努力していましたが、そうではありませんでした。既に如来は救うと言われて…

4-2.お差し支えなし、ご注文なし

妙好人にはすぐれた言動が数多く残されていますが、お園さんという有名な妙好人には、次のような伝記が残されているようです。-以下、引用-出典(「妙好人と生きる」著者亀井鑛氏) 伊勢の一婦人、自身の胸の始末にかかって、ちょっとも仰せを受け付けずに苦…

4-1.当たり前と妙好人

私の数少ない法友仲間の1人がブログで書いています。妙好人という言葉を使わないようにしている、と。 信がわかったといっても、人に自慢するようなものではないし、人から特別にほめられるようなものではないし、だれでもが領解できる当たり前のことだとい…

3-12.明信仏智

“他力の信を得たら、明信仏智の働きで、他力の信だと分かるから、人に尋ねて、これが信かどうかを、確認する必要はない” A君 今回は、この点について議論してみようか。信を得た人は、直ちに他力の信を得たと分かるものなのかい? Cさん そんなことはない…

3-11.三願転入 その3

T君 A君は、十八願だけを聞けばいいと言っているというじゃないか。 A君 ん? そんなことは言っていないよ。 T君 先日、K君が君からそんなことを聞いたと言っていたよ。A君から、直ちに救われたければ十七願十八願の願心を聞けと言われたってね。 A君…

3-10.三願転入 その2

K君 君は、如来の大悲心をそのまま聞けというけれど、そのまま聞けない人はどうすればいいんだ? A君 どうすればいいんだって聞くけど、そのまま聞くしかないんだよ。 K君 それでもそのまま聞けない人はどうすればいいんだ? A君 それでもそのまま聞くし…

3-9.如来回向

A君 聴聞しているのは如来回向の救いの法っていうけど、如来回向とはどういうことか、分かるかい? B君 簡単に事じゃないか。如来回向というのは、如来が救いの法を私にさし向けているということだよ。 A君 うん、そうなんだけど、さし向けているというの…

3-8.三願転入 その1

A君 祖師は、どうして三願転入の文を書かれたんだろうね? B君 やっぱり、祖師は聖道自力の行から、どこかの段階で浄土の法門に入られて念仏行をされていたのではないかと思うんですよね。祖師は既に比叡のお山で常行念仏をされていたと聞いたことがありま…

3-7.無条件の救い

A君 十八願における如来の救いは無条件と言われているけど、どうしてそういわれるのか、分かる? B君 如来の救いは他力回向だから、じゃないですか。 Cさん 他力回向だとしてもどうして無条件の救いになるのか、その説明が必要よ。 B君 そうだね。 A君 …

3-6.南无阿弥陀仏

A君 十八願文の中に南无阿弥陀仏を見つけられる? Cさん 蓮如上人は十八願を南无阿弥陀仏といふ願*と呼ばれていたけど、それと関係があるの? *5帖8通(浄土真宗聖典1195頁) A君 おおありだよ。ちょっと考えてみて。 Cさん ええっと、十八願は「至心…

3-5.信が得られる条件-赤尾の道宗

Cさん 赤尾の道宗は、琵琶湖の海を一人して埋めよと蓮如上人から言われて、かしこまると答えたそうだけど、蓮如上人は、善知識に絶対服従することを求められたということなのかしら。 B君 違うね。善知識に絶対服従するというこことと信を得られるというこ…

3-4.地獄は一定すみかぞかし

A君 我が身は死ねば地獄は一定ということになれば、祖師は、さぞかし苦しい思いをされた、のだろうか。 B君 如来の呼び声を聞いているから苦悩はなかったと思うよ。 Cさん 私もそう思うわ。 A君 いつ、祖師は、地獄は一定という思いになったのか、考えて…

3-3.自力消尽の理由

A君 自力が消尽するのはどうしてだと思う? B君 以前、僕は、地獄一定の実機が知らされて出離できないと知らされるから自力無功になるのだと思っていたよ。でも、A君はそうじゃないというんだね。 A君 ウン。地獄一定の実機など知らされないよ。それに、…

3-2.悪人正機 

A君 Cさんは「悪人正機」についてはどう思っているの? Cさん 私は罪悪感が強いので、悪人正機の悪人とは私のことだと思うわ。A君は そうじゃないの? A君 僕は罪悪感はほとんどないね。自分は善人だと思っているので、悪人正機と 聞いたって、善人も正…

3-1.本願まこと

A君 B君は「本願まこと」と心から思っているかい? B君 ウーン、自分でもよく分からないなぁ。「本願まこと」と思っているようで あり、そうはっきりと分かったとは言えないような、そんな感じかなぁ。 A君は、どうなの? A君 僕もそんな感じだけど、「…

2-21.思うと思わざる-架橋するもの

究極の問いは、いくつか考えられますが、今回は、私を救うという大悲心があるという思いは世間でよく言われる「思い込み」ではないのか、という問いについて考えてみます。 「思い込み」という言葉は、「単なる思い込みに過ぎない」などと使われるように、客…

2-20.己証相通じる

お救いの法を聴聞しつつ如来の慈悲心を味わうのも格別ですが、それは私の心の中に留まるものであり、私限りのものですが、信心の沙汰はそれを分かち合えるという点で法話とは別のありがたみがあります。 如来の願心を聞き受けたとき、これが信と呼ばれもので…

2-19.役に立つのか

大悲心を受けたとして、それが何か役に立つのか。 いのるによりて やまひもやみ いのちのぶる事あらば たれか一人としてやみしぬる人あらん。 浄土宗略抄 念仏称えて病気が治ったり、命が延びるものであれば、たれか一人として病み、死ぬ人があろうか、と浄…

2-18.往生するのは何か?

前回、「大悲心を認識している所に南无阿弥陀仏が成立します。」と書きました。 ところで、往生してゆく浄土を視覚化すれば、極楽絵図のような浄土をイメージするでしょうが、心の中に成立している南无阿弥陀仏を視覚化することはできません。感じている大悲…

2-17.大悲心と認識と機法一体

大悲心と認識の関係について考えてみます。 以前、「大事なことは大悲心を受けているということだけです。」と書きました。「いま、ここで、如来の大悲心を受けている」ときの私の心理状態は「大悲がある」と感じています。「大悲がある」と認識しているとい…