観経の下々品には、善知識が臨終の愚人に対して妙法を説いたが、この愚人は苦に責められて念仏するいとまがない。そこで善友は、教えを転じて口称を勧め、「なんじ、もし仏を念ずるあたわずは、まさに無量寿仏の名を称すべし」と告げた。愚人はその勧めを受…
最初の質問1に対する回答に関し、さらなるご質問を頂きました。質問部分を いくつかに分割してコメントないし回答します。 「質問前書き部分」 ご回答をいただいての率直な感想を申し上げさせていただきますと、「非常に難しい」 もっと正直に申し上げさせ…
質問 私はまさに「如来の慈悲がいただきたい、わかりたい」と思っています。 それでこうしていろいろブログなどを拝見させていただいているのですが、なかなか腑に落ちません。「如来の慈悲が私に届いていると分かったとき、もらい方を問題としなくて良いこ…
A君 真宗において、なかなか救われずに苦労している人は、どうしたら救われるのですか、念仏称えたら救われるのですか、と真剣に問われることがあるよね。君なら何と答える? B君 「救われる」という事をその人はどう考えているのでしょうか。浄土往生でき…
念仏はもともと如来の側に属するものですが、如来の側と私の側とをつなぐものです。それが如来のお約束事です。 「如来のお約束事」とは、 如来が私を救済する手段として南無阿弥陀仏を選び取り、私に受け取らせん、称えさせんと誓ったのが如来の十七願のお…
真実の自己を知れ、という人がいます。「真実の自己」というのは、どういうことでしょうか? 真実の自己を「知る」とはどういうことでしょうか? 「真実の自己」とは、自己という固有のものは存在せず因縁に従って生起し滅する自己のことでしょうか。 「知る…
普段の思いや臨終の思いは信と無関係である、といわれます。臨終にどのような思いになっても信を得ていないとは言えないし、信を得たとも言えない、ということです。 どうして、そのようなことが言えるのか、考えてみましょう。 私の内心の意識や思いを仮に…
元祖の十七条御法語は、元祖の晩年の御法語であるとされています。その第十条には、 往生の業成は、念をもって本とす。名号を称するは、念を成ぜんがためなり。念すなわち懈怠するがゆえに。常恒に称唱すればすなわち念相続す。心念の業、生を引くがゆえなり…
声につきて決定往生のおもいをなせ。 煩悩のうすくあつきをもかえりみず、罪障のかろきをもきをも沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と唱えて、声につきて決定往生のおもひをなすべし。 法然聖人 つねに仰せられる御詞(二十七条御法語) 声につきて決定往生の思…
善導大師は、正行を「阿弥陀仏への礼拝、浄土三部経の読誦、阿弥陀如来の浄土の観察、称名念仏、讃嘆供養」をいうと指定され、そのうちの称名念仏を正定業、その他は助業とされました。 称名念仏を正定業とするのは、称名念仏が十八願に誓われているからです…
元祖は、一念十念に往生すといへばとて、念仏を粗相に申せば、信が行をさまたぐる也。念々不捨者といへばとて、一念十念を不定におもへば行が信をさまたぐ也。故に信をば一念に生まるととりて、行をば一形にはげむべし。 禅勝房に示す御詞と言われています。…
地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く? “ 自力一杯求めて自分は善ができぬ悪人と知らされたとき、地獄は一定と地獄の 釜の底にたたき落とされると同時に如来の呼び声を聞いて助かる。”と説き、だから、“ 精一杯善をせよ。” と勧める人がいる。 これって、本当…
“如来の声を聞けば、名号を与えられて信が生じる。” この表現 あり? なし? A君 “如来の声を聞けば、名号を与えられて信が生じる。”という言い方は、ど うだろうか、何か問題はあるかな? B君 何か、違和感を感じるなぁ。 A君 どんなところに違和感を感…
冒頭の「課題の分離」とは、相手の課題に対して、それは私の解決すべき課題ではないと切りはなすことです。 あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。 アルフレッド・アドラー …
どうしたら慈悲を頂けるのかと悩んでいたことは、大きな思い違いが原因でした。 私の方が何かをどうにかしなければならないと思っていました。しかし、それが思い違いでした。何かをどうにかするということではありませんでした。慈悲が届いていることを聞け…
慈悲には形がありません。そもそも慈悲というものがどういうものか、分かりません。分からないものをいただくことはできません。ここが乗り越えられない壁でした。八方塞がりでした。法話を聞いても、「分からない、分からない、全く分からない。」といつも…
「私をもろテー、おッ気軽に。どなたでも。」の「もろテー」は、嫁に「もろテー」ということで、夫となる人からみれば、お嫁にきていただくということです。 真宗でも「いただく」ということがあります。その場合は、お慈悲をいただくといいます。いただくの…
如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 お気軽に乗って下さい。 以前、関西の女性2人の漫才師がおりました。背が高い方と背の低い方でした。背の高い方がぼけ役、背の低い方がつっこみ役でした。背の高い方は、婚期を逃したことを漫…
如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 旧知の方がそう私に話をしてくれました。 お見事です。 善導の二河白道のたとえの「すでにこの道(白道)あり。・・決定して道を尋ねてただちに進んで」とあるように、白道に足が乗る瞬間が「乗っ…
如来は限りなくお節介者です。頼まれもしないのに救うというのですから。 しかも、そのお節介ぶりは、十劫の昔からというのですから相当なものです。いつまでそのお節介が続くのかと言えば、私を救うまでです。 私に残された道は、もう、あきらめるしかあり…
如来は私を助ける気。私は助けて貰いたい気。 これであれば互いに気が合いそうですが、実際には合いません。 どうしてでしょうか。 如来は私を無条件で救う気。 このままで救われるというが、私は、このままで救われた気にはなれないと思っているからです。 …
分かったことは、方向が違っていたということです。 自分の努力次第で信を得られると思っていましたが、そうではありませんでした。自分に何かが足りないから救われないのだと思って努力していましたが、そうではありませんでした。既に如来は救うと言われて…
妙好人にはすぐれた言動が数多く残されていますが、お園さんという有名な妙好人には、次のような伝記が残されているようです。-以下、引用-出典(「妙好人と生きる」著者亀井鑛氏) 伊勢の一婦人、自身の胸の始末にかかって、ちょっとも仰せを受け付けずに苦…
私の数少ない法友仲間の1人がブログで書いています。妙好人という言葉を使わないようにしている、と。 信がわかったといっても、人に自慢するようなものではないし、人から特別にほめられるようなものではないし、だれでもが領解できる当たり前のことだとい…
“他力の信を得たら、明信仏智の働きで、他力の信だと分かるから、人に尋ねて、これが信かどうかを、確認する必要はない” A君 今回は、この点について議論してみようか。信を得た人は、直ちに他力の信を得たと分かるものなのかい? Cさん そんなことはない…
T君 A君は、十八願だけを聞けばいいと言っているというじゃないか。 A君 ん? そんなことは言っていないよ。 T君 先日、K君が君からそんなことを聞いたと言っていたよ。A君から、直ちに救われたければ十七願十八願の願心を聞けと言われたってね。 A君…
K君 君は、如来の大悲心をそのまま聞けというけれど、そのまま聞けない人はどうすればいいんだ? A君 どうすればいいんだって聞くけど、そのまま聞くしかないんだよ。 K君 それでもそのまま聞けない人はどうすればいいんだ? A君 それでもそのまま聞くし…
A君 聴聞しているのは如来回向の救いの法っていうけど、如来回向とはどういうことか、分かるかい? B君 簡単に事じゃないか。如来回向というのは、如来が救いの法を私にさし向けているということだよ。 A君 うん、そうなんだけど、さし向けているというの…
A君 祖師は、どうして三願転入の文を書かれたんだろうね? B君 やっぱり、祖師は聖道自力の行から、どこかの段階で浄土の法門に入られて念仏行をされていたのではないかと思うんですよね。祖師は既に比叡のお山で常行念仏をされていたと聞いたことがありま…
A君 十八願における如来の救いは無条件と言われているけど、どうしてそういわれるのか、分かる? B君 如来の救いは他力回向だから、じゃないですか。 Cさん 他力回向だとしてもどうして無条件の救いになるのか、その説明が必要よ。 B君 そうだね。 A君 …