3-12.明信仏智

“他力の信を得たら、明信仏智の働きで、他力の信だと分かるから、人に尋ねて、これが信かどうかを、確認する必要はない” A君 今回は、この点について議論してみようか。信を得た人は、直ちに他力の信を得たと分かるものなのかい? Cさん そんなことはない…

3-11.三願転入 その3

T君 A君は、十八願だけを聞けばいいと言っているというじゃないか。 A君 ん? そんなことは言っていないよ。 T君 先日、K君が君からそんなことを聞いたと言っていたよ。A君から、直ちに救われたければ十七願十八願の願心を聞けと言われたってね。 A君…

3-10.三願転入 その2

K君 君は、如来の大悲心をそのまま聞けというけれど、そのまま聞けない人はどうすればいいんだ? A君 どうすればいいんだって聞くけど、そのまま聞くしかないんだよ。 K君 それでもそのまま聞けない人はどうすればいいんだ? A君 それでもそのまま聞くし…

3-9.如来回向

A君 聴聞しているのは如来回向の救いの法っていうけど、如来回向とはどういうことか、分かるかい? B君 簡単に事じゃないか。如来回向というのは、如来が救いの法を私にさし向けているということだよ。 A君 うん、そうなんだけど、さし向けているというの…

3-8.三願転入 その1

A君 祖師は、どうして三願転入の文を書かれたんだろうね? B君 やっぱり、祖師は聖道自力の行から、どこかの段階で浄土の法門に入られて念仏行をされていたのではないかと思うんですよね。祖師は既に比叡のお山で常行念仏をされていたと聞いたことがありま…

3-7.無条件の救い

A君 十八願における如来の救いは無条件と言われているけど、どうしてそういわれるのか、分かる? B君 如来の救いは他力回向だから、じゃないですか。 Cさん 他力回向だとしてもどうして無条件の救いになるのか、その説明が必要よ。 B君 そうだね。 A君 …

3-6.南无阿弥陀仏

A君 十八願文の中に南无阿弥陀仏を見つけられる? Cさん 蓮如上人は十八願を南无阿弥陀仏といふ願*と呼ばれていたけど、それと関係があるの? *5帖8通(浄土真宗聖典1195頁) A君 おおありだよ。ちょっと考えてみて。 Cさん ええっと、十八願は「至心…

3-5.信が得られる条件-赤尾の道宗

Cさん 赤尾の道宗は、琵琶湖の海を一人して埋めよと蓮如上人から言われて、かしこまると答えたそうだけど、蓮如上人は、善知識に絶対服従することを求められたということなのかしら。 B君 違うね。善知識に絶対服従するというこことと信を得られるというこ…

3-4.地獄は一定すみかぞかし

A君 我が身は死ねば地獄は一定ということになれば、祖師は、さぞかし苦しい思いをされた、のだろうか。 B君 如来の呼び声を聞いているから苦悩はなかったと思うよ。 Cさん 私もそう思うわ。 A君 いつ、祖師は、地獄は一定という思いになったのか、考えて…

3-3.自力消尽の理由

A君 自力が消尽するのはどうしてだと思う? B君 以前、僕は、地獄一定の実機が知らされて出離できないと知らされるから自力無功になるのだと思っていたよ。でも、A君はそうじゃないというんだね。 A君 ウン。地獄一定の実機など知らされないよ。それに、…

3-2.悪人正機 

A君 Cさんは「悪人正機」についてはどう思っているの? Cさん 私は罪悪感が強いので、悪人正機の悪人とは私のことだと思うわ。A君は そうじゃないの? A君 僕は罪悪感はほとんどないね。自分は善人だと思っているので、悪人正機と 聞いたって、善人も正…

3-1.本願まこと

A君 B君は「本願まこと」と心から思っているかい? B君 ウーン、自分でもよく分からないなぁ。「本願まこと」と思っているようで あり、そうはっきりと分かったとは言えないような、そんな感じかなぁ。 A君は、どうなの? A君 僕もそんな感じだけど、「…

2-21.思うと思わざる-架橋するもの

究極の問いは、いくつか考えられますが、今回は、私を救うという大悲心があるという思いは世間でよく言われる「思い込み」ではないのか、という問いについて考えてみます。 「思い込み」という言葉は、「単なる思い込みに過ぎない」などと使われるように、客…

2-20.己証相通じる

お救いの法を聴聞しつつ如来の慈悲心を味わうのも格別ですが、それは私の心の中に留まるものであり、私限りのものですが、信心の沙汰はそれを分かち合えるという点で法話とは別のありがたみがあります。 如来の願心を聞き受けたとき、これが信と呼ばれもので…

2-19.役に立つのか

大悲心を受けたとして、それが何か役に立つのか。 いのるによりて やまひもやみ いのちのぶる事あらば たれか一人としてやみしぬる人あらん。 浄土宗略抄 念仏称えて病気が治ったり、命が延びるものであれば、たれか一人として病み、死ぬ人があろうか、と浄…

2-18.往生するのは何か?

前回、「大悲心を認識している所に南无阿弥陀仏が成立します。」と書きました。 ところで、往生してゆく浄土を視覚化すれば、極楽絵図のような浄土をイメージするでしょうが、心の中に成立している南无阿弥陀仏を視覚化することはできません。感じている大悲…

2-17.大悲心と認識と機法一体

大悲心と認識の関係について考えてみます。 以前、「大事なことは大悲心を受けているということだけです。」と書きました。「いま、ここで、如来の大悲心を受けている」ときの私の心理状態は「大悲がある」と感じています。「大悲がある」と認識しているとい…

2-16.常来迎

祖師は、「来迎は諸行往生にあり。自力の行者なるがゆえに。臨終ということは諸行往生のひとにいうべし。いまだ真実の信心を得ざるがゆえに。」と言われました。念仏往生の行者は臨終来迎を待たないと否定されました。これは、臨終来迎を誓った十九願は、十…

2-15.常念仏の衆生

私は、大きな声で念仏することはありません。本願寺築地別院などにたまに出向いて本尊に面と向かったときも、大きな声で念仏することはありません。心の中で南无阿弥陀仏と数回から十数回念じるか、せいぜい、口の中で数回つぶやく程度です。心の中で南无阿…

2-14.信一念について

人は、常にこの世界の視覚映像等を連続して認識しており、その映像等は一瞬たりとも途切れることはなく、常に連続して映像等が認識されると思っています。しかし、私達の大脳(視覚野と前頭前野)が認識するまでには複雑な処理が必要になります。目からの視覚…

2-13.私にとって南无阿弥陀仏とは一体なにか?

南无阿弥陀仏とは、私にとって一体、何でありましょうか。 祖師は、南无阿弥陀仏の南无の字義を解釈して如来の呼び声だと言われましたが、私にとって南无阿弥陀仏とは、如来の慈悲を感じることです。 如来の呼び声である以上、その呼び声を聞く、ということ…

2-12.法蔵の本覚と始覚-お経には書いていないこと-

阿弥陀という仏様は、どのような苦労をして南无阿弥陀仏となられるのでしょうか、勝手に想像してみます。 そもそも、仏様が衆生を救うには、どうすればよいのでしょうか。仏様のまま、衆生の外から衆生を救うのでしょうか。それとも、自らが衆生になり切り、…

2-11.念仏と信と自我

如来の大悲心を受容し、大悲心を仰ぐようになる前は、信を得るために何がしかの役に立つのではないかと思って念仏を称えています。自分の利益のために何か役立てようとの思いを自我というならば、他力信の念仏にはその自我はまじりません。 阿弥陀仏の願心を…

2-10.大経思想の受容と事実

宗教は、自分が認識している世界と人をどのように理解するのかに関する理解の枠組みを提供し、人の精神世界に働きかけ、一定の方向を指し示し、その方向に進むことを教示します。 例えば、キリスト教では、この世界は神が作りたもうた世界であり、人は原罪を…

2-9.信を考える視点

信を考えるに、2つの視点があります。 1つは、如来の大悲心を受けるという視点 2つは、如来の大悲心を受けている状態ないし如来の大悲心を受けているという私の思いを私の意識の視点から観察するという視点 1つめの如来の大悲心を受けるという視点から信…

2-8.月指す指

週刊○○誌に「月指す指」という漫画が連載されていました。西本願寺の僧籍を取得するために仏教学院で受講する生徒達の物語ですが、真宗の教義が述べられる場面はほとんどありませんでしたが、それなりに面白いので毎週購読していました。 この「月指す指」と…

2-7.自力無功と死の受容

如来の本願が間違っていたら、どうなるのか。如来の願心を喜んでいる人は、この点にいて、どのように考えるのかを考えてみます。 如来の本願が間違っていたら、どうなるのか、そんなことを信後の人が考えることがあるのかと、訝しく思われるかも知れません。…

2-6.リアルに想定してみましょう。如来の三心を聞き受けるとは?

まず、リアルに想定してみましょう。自分が死ぬ存在であるということを。 私は、必ず、死んでゆきます。 死に至るまでの経過が急激な外力によるものではなく、病的な緩慢な経過である限り、何らかの微細な変化から始まります。それは最初自覚できません。そ…

2-5.信を得ることが人生の目的か?

信を得ることが人生の目的である、と考える必要性はありません。信を得ることが人生の目的であると考え、信を得るために自分の生活を犠牲にするということも必要もありません。 世間では、資格の取得にせよ、起業にせよ、成功するには少しばかりの才能と懸命…

2-4.視点の転換と五重の義の理解

①宿善、②善知識、③光明、④信心、⑤名号(称名念仏)の五重の義、成就せずは往生はかなうべからず。 この五重の義をどのように理解するかは、問題があるところです。最初に宿善が挙げられているので、宿善がなければ往生はできないと理解して宿善を求めなければ…