読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3-4.地獄は一定すみかぞかし

A君 我が身は死ねば地獄は一定ということになれば、祖師は、さぞかし苦しい思いをされた、のだろうか。

B君 如来の呼び声を聞いているから苦悩はなかったと思うよ。

Cさん 私もそう思うわ。

A君 いつ、祖師は、地獄は一定という思いになったのか、考えてみると、可能性があるのは比叡の山を降りるとき、だろうなぁ。それと、如来の願心を聞き受けて自力が廃ったとき、それとそれ以降、という事が考えられる。比叡の山を降りるときにそうした思いになっていたとすれば、たいそうお辛かったと思うね。自力が廃ったときにいよいよ地獄一定という思いになったのであれば、如来まかせという安堵感があったと思う。

A君 じゃあ、祖師は浄土往生を喜ばれていたのだろうか。

B君 浄土を願わぬは煩悩の所為であるが、その煩悩し盛の凡夫を救い給わん本願のかたじけなさよ、と喜んでおられることが歎異抄には書かれているよね。

A君 では、煩悩が喜びの種になるというのは、本当だろうか。

B君 本当だと思うよ。

A君 実は僕は、そうは考えていないんだ。

B君 どういうことか、説明してよ。

A君 煩悩は依然として苦しみの種だ。これがそのまま喜びになることはない。但し、その煩悩をきっかけとして、如来の慈悲を仰ぐときその如来の慈悲を喜べるんだな。つまり、喜んでいるのは如来の慈悲であって煩悩ではないよ。心から人を憎しむとき、心にあるのは憎しみだけさ。その状態で苦しむのは当然のことだろう。その憎しみの状態のままでその状態を喜べる信心の人はいないさ。人を憎しんだことをきっかけとして如来の慈悲に思いをいたして慈悲を仰ぐとき、やっとその慈悲を喜ぶというのが本当のところじゃないかい。

B君 そういわれれば、そうだね。

A君 ところで、祖師は、念仏は浄土に生まれるたねやらん、地獄におつるたねやらん。総じてもって存知せざるなりと仰っているけど、浄土に生まれるたねかどうか、本当にわからなかったのだろうか。

B君 分からなかったと思うね。

A君 どうしてそう思うの。

B君 如来の願心がある以上は、自分も浄土に生まれるとは思うけど、それは確信というものとは違うように思えるなぁ。

A君 そうすると、地獄は一定という思いに対して、浄土往生は確信できないということになると、いったい、祖師はどういう気持ちだったんだろうか。

B君 うーん。地獄一定の自分に如来の大悲心が届いているといるということだから、その思いのない者と比べると大悲心に感激していたのだろうと思うけど、浄土往生は確信できないということになると、ある種の緊張感があるよね。

Cさん そうね。自己の実態を見れば地獄ゆき、如来の慈悲を仰げば慈悲を喜び、浄土往生を喜ぶ。どちらか一方に思いが確定してしまうということのない状態ということになるわね。

A君 祖師は、地獄は一定と言われたけれど、僕には地獄一定の思いはないんだ。でも、いざ死ぬというときのことを考えると、自分の行き先が地獄であるならば、それはそれで仕方ないという思いはある。自分がそういうものであれば仕方ないことで、逃れようがないからね。

B君 じゃ、浄土往生の思いはないのかい。

A君 いや。そういう思いもあるよ。でも、確信しているわけではない。如来の願心があるから往生は治定だろう、往生治定は間違いないという思いがあるが、それが本当かは分からない。

Cさん そうすると、ただ、地獄は一定の思いがないだけね。

A君 そうだね。B君がさっき言ったように、地獄は一定の思いがないけど、死に突入してゆくというある種の緊張感があるよね。

B君 緊張感はあるけど、如来にまかせきっている安堵感もある。

A君 そうなんだね。あるんだよ。

Cさん 京都にいる親鸞聖人のもとに行こうとした関東の同行の中には、途中で病気にかかって仲間たちに関東に帰れっていわれだけど、どうせ死ぬなら祖師の下で死にたいと言った人がいたわね。

A君 あぁ、いたね。

B君 その人が京都について死ぬ間際に、祖師が臨終の心境を聞いたとき、喜び近づけり、報謝の念仏を申していると答えた、ということだったよね。

A君 そうだね。

Cさん その人は、そんな心境で亡くなったのね。

A君 臨終が近づいたとき、如来の慈悲を目一杯、受けていたんだろうね。

B君 そうじゃないと、なかなかそんなことは言えないよね。

A君 祖師が亡くなるときも、念仏の声がして、やがて声が小さくなっていき、最後には途絶えたということだったよね。

Cさん 祖師も喜ばれていたのね。

A君 そうだろうね。

B君 慈悲に遭っている人は、その慈悲を感じているときはみんな慈悲に安堵し、涙を流して喜ぶんだ。

A君 慈悲を強く感じるときもあり、感じないときもある。機縁機縁で変わってくるものだけど、死を意識するとき、大悲心を強く感じるのだろうと思うね。

Cさん 私は、自分の臨終が楽しみね。どうなるのだろうかと思うのね。不安ではく、わくわくするような期待かな。A君とB君の臨終には、私が立ち会うからね。どうなるか見物だわ。

A君 女性の方が長生きするからね。

B君 せいぜい僕らの臨終がどうなるのか見ておくれよ。

Cさん 分かったわ。必ず、あなたたちの臨終に立ち会って、そのときの心境を聞いてあげるわよ。

A君 まぁ~、わさわざ立ち会ってくれなくてもいいけど。ただ、臨終の様はどうであれ、そのことは関係ないからね。そこんとこだけは、よろしくたのむよ。