4-8.いただく

 「私をもろテー、おッ気軽に。どなたでも。」の「もろテー」は、嫁に「もろテー」ということで、夫となる人からみれば、お嫁にきていただくということです。

 真宗でも「いただく」ということがあります。その場合は、お慈悲をいただくといいます。いただくのは如来のお慈悲ですが、お慈悲は物やお嫁さんと違い、形がありません。形がある物であれば、手にとって受け取ることができます。慈悲には形がありません。いただくといっても手にとって受け取ることはできません。そもそも慈悲というものがどういうものか、分かりません。分からないものをいただくことはできません。法話を聞いても分からない、分からない、全く分からないとこぼしていました。如来の慈悲が分からなかったのです。ここで完全に行き詰まりました。乗り越えられない壁でした。八方塞がりでした。