1-31.教行信証のご自釈を読み解く(その1)

「親鸞聖人 教行信証御自釈」(定価1500円)という本が永田文昌堂から出版されている。祖師の御自釈を拾い読みをするのに便利である。拾い読みするだけで教行信証における祖師の基本的な考え方が分かる。以下、御自釈の中からさらに選んで拾い出してみる。文頭…

3-23.会話編 善導の就人立信と就行立信~蓮師への系譜

善導の観無量寿経疏 散善義・上輩観・上品上生釈・深心釈中の二種深信釈のあとに就人立信釈と就行立信釈が述べられている。浄土真宗聖典七祖編462頁~464頁 *1 就人立信釈 十方におのおの恒河沙等の諸仏ましまして、同じく釈迦よく五濁悪時、悪世界、悪衆…

3-31.会話編 六字釈-本願招喚の勅命と発願回向

*1.善導の六字釈 南無というはすなわちこれ帰命なり。またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏というはすなわち是れその行なり。この義をもっての故に必ず往生を得。 *2.善導の六字釈に関する祖師の御自釈 (1)しかれば南無の言は帰命なり。帰の言は至なり…

3-30.会話編 無条件の救いと信行

B君 あるブログのコメント欄で、如来の救いには条件があるか無条件かという意見交換がされていた。これはどのように理解したらいいんだろうか。 A君 「無条件の救いではない」という人は信とそれに続く行が往生の条件だというのだろう。 B君 信行が往生の…

3-29.名号の解釈論(十八願と名号)-所信は本願か名号か(続き)

B君 元祖と祖師の能信は同じだが、所信は本願か名号かという違いがあると主張するある布教師の問題提起はどのように整理し、理解したらいいんだろうか。 A君 形式的な解釈論としては、十七願と十八願を切り離して十八願の願文だけで十八願を解釈するか、十…

3-28.会話編 信の特性(大悲感受の一対性)-所信は本願か名号かの違和感の正体

序章 導入 (問題の提起) B君 あるブログ(「浅川進の、宗教と私」)に布教師が解説した音声録音の文字起こしが連載されていた。内容の一部として「能信と所信」について解説されていた。 A君 どんな解説だったか、簡潔に要約してくれないか。 B君 布教師に…

3-27.会話編 他力信の特性(現在性)-平生業成とは-

B君 平生業成と念仏往生の法義の違いについて布教師が解説した音声録音の文字起こしが、あるブログ(「浅川進の、宗教と私」)に掲載されていた。 A君 私も読んだが、そこで述べられていた平生業成と念仏往生の各法義を簡潔に要約して紹介してくれないかな。…

3-26.会話編 他力信の特性-回心とは-

B君 祖師は信に一念があると教えられたが、その文言上の根拠は無量寿如来会の「一念の浄信」という文言にある。その上で十八願成就文の「聞其名号信心歓喜乃至一念」の「一念」を信の一念と理解された。この信一念は信が開発する初起一念と理解されているが…

1-30.他力信の特性

他力信の特性を列挙してみる。信の特性はこれらに限定されるものではないし、いくつかは重複している。感じるままに考えたもので教学的に整理したものではない。①.大悲感受性②.事実性③.現在性④.未来指向性⑤.過去因縁性⑥.純真性⑦.意識非対象性⑧.無所…

3-25.会話編 念仏往生(続々) 南無阿弥陀仏 妙味と教学

B君 信の味わいは教学とは別だと考えている人は多いように見受けられるが、君はどう考えているのか。 A君 信の妙味とは大悲を感受していることから味わえる感じや思いのこと、摂取不捨の阿弥陀仏に南無(信順無疑)となっている心の状態を基点として生じる思…

3-24 会話編 念仏往生(続編) 南無阿弥陀仏が往生決定の証拠になるとは?

〔設 問〕 御文(四帖目8通)に次の文がある。この文と念仏往生の教えとは異なるのか。 当流の信心決定すといふ体はすなはち南無阿弥陀仏の六字のすがたとこころうべきなり。すでに善導釈していはく「言南無者即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者即是其行…

3-22.会話編 念仏往生 念仏の勧めとは?

B君 「阿弥陀仏はまかせよと勧めており、念仏は勧めていない」とある布教師が言ったことを契機として、阿弥陀仏は念仏を勧めていない、いや、勧めているという議論が始まったばかりだが、君はどう考えているのか。 A君 「阿弥陀仏は念仏を勧めているか否か…

3-21.論考 ある白道解釈 プラス 会話編

以下において論評の対象にする白道解釈は次の引用文である。この引用文はある真宗系を自称している団体のホームページ(平成31年1月10日現在)からそのまま転載したものである。 阿弥陀仏は、「どんな人も必ず絶対の幸福に助ける」と命を懸けてお約束なされて…

3-20.論考 元祖の白道解釈 プラス 会話編

昭和新修法然上人全集448頁に収録されている「一.三心料簡事」の出だしから中頃にかけて、息慮凝心の定善と廃悪修善の散善は貪嗔邪偽等の血毒が交わるが故に雑毒の善、雑毒の行と名付ける。虚仮の行とは至誠心において嫌われる余善諸行である。この虚仮雑毒…

3-19.会話編 執持鈔を通じて-仏にまかせることと決定往生の思い

執持鈔二章 往生ほどの一大事凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすじに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず・・まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちからにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふべ…

4-12.こだわるところが間違っている。 未信の者がこだわり、信の者がこだわらないこと 信の者がこだわり、未信の者がこだわらないこと

未信の者がこだわるのは「わかりたい」「救われたい」「信が欲しい」「後生の不安を解決したい」ということですが、信の者はそういったことに対するこだわりはまったくありません。未信の者がこだわるべきなのにこだわらないのは大悲への理解です。大悲への…

1-29.信心が同一になる原理と事実認識の方法

御伝抄に次のような文があります。 ①.善信房申していはく、 往生の信心にいたりては、ひとたび他力信心のことわりをうけたまわりしよりこのかた、まったくわたくしなし。しかれば聖人の御信心も他力よりたまはらせたまふ、善信が信心も他力なり。かるがゆえ…

1-28.信心定まるとき往生定まる。往生定まるとき信心定まる。

①.御消息に次のような祖師のお言葉があります。真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに正定聚の位に住す。このゆえに臨終待つことなし。来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。 ②.往生大要抄に次のような元祖法然聖人のお言葉があります。…

3-18.本尊と助業

B君 A君は本尊についてどう考えているの? A君 名号本尊であれ、木像本尊であれ、絵像本尊であれ、阿弥陀仏の大悲を表現したものであればどれでも良いと思うよ。大悲を表すものである限りはいずれがダメだということはないよね。 B君 名号本尊に固執しな…

3-17.浄土真実の行

B君 行巻の願名の下に「浄土真 実の行」と書かれているけど、この浄土真実の行をどう理解すればよいだろうか。名号のことか本願念仏のことだろうか。 A君 その前に仏様の救いのありかたを見てみようよ。祖師が言われている仏願の生起本末を広く解釈すれば…

3-16.祖師が他力の信を無疑という事実に還元された理由は何か。 他力の信は無疑の事実状態に限定されるのか。

A君 前回他力の信に有って自力の信に無いもの、自力の信に有って他力の信に無いものという議論をしたけど、そもそも他力の信というのは事実状態だけで構成されるものなのか、或いはその状態に加えてある種の思いを含んだものなのか、どちらと考えるのが適当…

3-15.信-有るものと無いもの

他力の信に有って自力の信に無いもの。 自力の信に有って他力の信に無いもの。 A君 祖師は「聞というは本願の生起本末を聞きて疑心あること無し。」と言われ、この如実の聞を本願回向の信であるとされているよね。 B君 うん。そうだね。 A君 祖師は、どう…

会話編 3-14 大信と大行

B君 A君はよく「阿弥陀仏に南無している心の状態」が信だというよね。 A君 うん。よく言うよ。 B君 その信の相は南無阿弥陀仏だから、その信が大行だと言うんだよね。 A君 うん。そうだね。 B君 祖師は称名が行だとされているけど、信も大行だと言うの…

1-27.念仏-念仏に付与される主観的意味合いは何によって決まるのか。

※7/5に修正し、差し替えました。 真宗でいう念仏とは口で南無阿弥陀仏と称えることです。口で称えるというのは、自分の体の声帯を使い、聴覚によって知覚され得る音に変換することをいいます。念仏は称える者の心相ないし思いという心的要素、南無阿弥陀…

6-4(3).質問と回答 4の続き(2)

質問4の続き(2) 質問ですが、法蔵菩薩が阿弥陀仏になる際に、私を救うために、果てしない時間修行をし、阿弥陀仏の名号を作られたとのことですが、阿弥陀仏の視点で考えた時に、私に名号を渡す苦労と名号を作ったときの苦労を比較したら、渡す苦労なんて大…

6-4(2).質問と回答 4の続き

質問4の続き 法蔵菩薩から阿弥陀仏になるにあたり、48願成就しなければ仏にならないと誓われていますが、全ての衆生、虫、鳥、草木等の類全てを救い終えて初めて法蔵菩薩から阿弥陀仏になれるという意味ではなく、全ての衆生を救うために、法蔵菩薩が修行…

6-4.質問と回答 4

質問4 質問ですが、なぜ法蔵菩薩は、今現在救われていない人がいるにも関わらず、阿弥陀仏になることができたのですか? 48願が成就しなければ仏にならないと誓われており、10劫前に仏になったとのことですが、救われていない人がいる時点で仏になれな…

1-26.行の否定

観経下々品の称名念仏の勧め(転教口称)から分かることは、如来の救いにおいては、称名する以外のすべての行は往生の行として廃(廃立の廃)されている、あるいは廃されるべきだということ。大経願成就文の「聞其名号信心歓喜」の教えから分かることは、聞く以…

6-3.質問と回答 3

※6/3公開のものから加筆しましたので差し替えます 質問3 わかりやすい文章で、 いつも読ませていただいています。 質問ですが、18願を読んでいる限り、救われるには念仏をすることが必要だと思われますが、念仏せず、聞くだけで救われる根拠はなんでし…

1-25.観経と大経の信・行一致2 安心と起行

観経の上品上生に、至誠心、深心、回向発願心の三心が説かれていますが、善導の指南によれば定散十六観に共通する三心であるとされています。しかし、下々品に登場する臨終の悪人は善行はなく悪行ばかりの愚人であるとされていますので、自前で三心を具すこ…