4.勘どころ

4-11.自分の解決課題ではない(課題の分離)

冒頭の「課題の分離」とは、相手の課題に対して、それは私の解決すべき課題ではないと切りはなすことです。 あなたが悩んでいる問題は本当にあなたの問題だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ。 アルフレッド・アドラー …

4-10.どうしたらいただけるの

どうしたら慈悲を頂けるのかと悩んでいたことは、大きな思い違いが原因でした。 私の方が何かをどうにかしなければならないと思っていました。しかし、それが思い違いでした。何かをどうにかするということではありませんでした。慈悲が届いていることを聞け…

4-9.いただけた

慈悲には形がありません。そもそも慈悲というものがどういうものか、分かりません。分からないものをいただくことはできません。ここが乗り越えられない壁でした。八方塞がりでした。法話を聞いても、「分からない、分からない、全く分からない。」といつも…

4-8.いただく

「私をもろテー、おッ気軽に。どなたでも。」の「もろテー」は、嫁に「もろテー」ということで、夫となる人からみれば、お嫁にきていただくということです。 真宗でも「いただく」ということがあります。その場合は、お慈悲をいただくといいます。いただくの…

4-7.おッ気軽に

如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 お気軽に乗って下さい。 以前、関西の女性2人の漫才師がおりました。背が高い方と背の低い方でした。背の高い方がぼけ役、背の低い方がつっこみ役でした。背の高い方は、婚期を逃したことを漫…

4-6.乗っちゃえ

如来がそのまま救うといっているのだから、それに乗っちゃえ。 旧知の方がそう私に話をしてくれました。 お見事です。 善導の二河白道のたとえの「すでにこの道(白道)あり。・・決定して道を尋ねてただちに進んで」とあるように、白道に足が乗る瞬間が「乗っ…

4-5.お節介者

如来は限りなくお節介者です。頼まれもしないのに救うというのですから。 しかも、そのお節介ぶりは、十劫の昔からというのですから相当なものです。いつまでそのお節介が続くのかと言えば、私を救うまでです。 私に残された道は、もう、あきらめるしかあり…

4-4.如来の気

如来は私を助ける気。私は助けて貰いたい気。 これであれば互いに気が合いそうですが、実際には合いません。 どうしてでしょうか。 如来は私を無条件で救う気。 このままで救われるというが、私は、このままで救われた気にはなれないと思っているからです。 …

4-3.方向違い

分かったことは、方向が違っていたということです。 自分の努力次第で信を得られると思っていましたが、そうではありませんでした。自分に何かが足りないから救われないのだと思って努力していましたが、そうではありませんでした。既に如来は救うと言われて…

4-2.お差し支えなし、ご注文なし

妙好人にはすぐれた言動が数多く残されていますが、お園さんという有名な妙好人には、次のような伝記が残されているようです。-以下、引用-出典(「妙好人と生きる」著者亀井鑛氏) 伊勢の一婦人、自身の胸の始末にかかって、ちょっとも仰せを受け付けずに苦…

4-1.当たり前と妙好人

私の数少ない法友仲間の1人がブログで書いています。妙好人という言葉を使わないようにしている、と。 信がわかったといっても、人に自慢するようなものではないし、人から特別にほめられるようなものではないし、だれでもが領解できる当たり前のことだとい…