2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

2-6.リアルに想定してみましょう。如来の三心を聞き受けるとは?

まず、リアルに想定してみましょう。自分が死ぬ存在であるということを。 私は、必ず、死んでゆきます。 死に至るまでの経過が急激な外力によるものではなく、病的な緩慢な経過である限り、何らかの微細な変化から始まります。それは最初自覚できません。そ…

2-5.信を得ることが人生の目的か?

信を得ることが人生の目的である、と考える必要性はありません。信を得ることが人生の目的であると考え、信を得るために自分の生活を犠牲にするということも必要もありません。 世間では、資格の取得にせよ、起業にせよ、成功するには少しばかりの才能と懸命…

2-4.視点の転換と五重の義の理解

①宿善、②善知識、③光明、④信心、⑤名号(称名念仏)の五重の義、成就せずは往生はかなうべからず。 この五重の義をどのように理解するかは、問題があるところです。最初に宿善が挙げられているので、宿善がなければ往生はできないと理解して宿善を求めなければ…

2-3.視点の転換と至心

至心は、如来の至心と衆生の至心という観点から考える必要があります。如来の側に立ったときは「約仏」といいあらわし、衆生の側に立ったときは「約生」といいあらわします。その約仏とか、約生という言い方はどうでもいいことですが、便利な言い方です。 さ…

2-2.視点の転換と十八願の味わい

祖師は、「よくよく本願を案ずれば、親鸞一人がためなり」と言われましたが、これは、十方衆生のうちで極悪最下な者が自分であるという意識から、そのように思わずにはいられなかったのだと思います。 では、十方衆生のうちで極悪最下な者が自分であるという…

2-1.夜と霧-視点の転換

ナチの強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルに「夜と霧」という著書があります。強制収容者生活において希望がもてず自殺を考えているという2人の囚人仲間から深刻な悩みの相談を受けたときのことが記されてい…

1-21.自然

自然といふは、 自はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。 然といふは、しからしむるといふことばなり。 しからしむるといふは、行者のはからひにあらず、如来のちかひにて あるがゆえに法爾といふ。 法爾といふは、この如来の御ちかひなるがゆえにし…