2018-01-01から1年間の記事一覧

3-19.会話編 執持鈔を通じて-仏にまかせることと決定往生の思い

執持鈔二章 往生ほどの一大事凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすじに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず・・まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちからにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふべ…

4-12.こだわるところが間違っている。 未信の者がこだわり、信の者がこだわらないこと 信の者がこだわり、未信の者がこだわらないこと

未信の者がこだわるのは「わかりたい」「救われたい」「信が欲しい」「後生の不安を解決したい」ということですが、信の者はそういったことに対するこだわりはまったくありません。未信の者がこだわるべきなのにこだわらないのは大悲への理解です。大悲への…

1-29.信心が同一になる原理と事実認識の方法

御伝抄に次のような文があります。 ①.善信房申していはく、 往生の信心にいたりては、ひとたび他力信心のことわりをうけたまわりしよりこのかた、まったくわたくしなし。しかれば聖人の御信心も他力よりたまはらせたまふ、善信が信心も他力なり。かるがゆえ…

1-28.信心定まるとき往生定まる。往生定まるとき信心定まる。

①.御消息に次のような祖師のお言葉があります。真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに正定聚の位に住す。このゆえに臨終待つことなし。来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。 ②.往生大要抄に次のような元祖法然聖人のお言葉があります。…

3-18.本尊と助業

B君 A君は本尊についてどう考えているの? A君 名号本尊であれ、木像本尊であれ、絵像本尊であれ、阿弥陀仏の大悲を表現したものであればどれでも良いと思うよ。大悲を表すものである限りはいずれがダメだということはないよね。 B君 名号本尊に固執しな…

3-17.浄土真実の行

B君 行巻の願名の下に「浄土真 実の行」と書かれているけど、この浄土真実の行をどう理解すればよいだろうか。名号のことか本願念仏のことだろうか。 A君 その前に仏様の救いのありかたを見てみようよ。祖師が言われている仏願の生起本末を広く解釈すれば…

3-16.祖師が他力の信を無疑という事実に還元された理由は何か。 他力の信は無疑の事実状態に限定されるのか。

A君 前回他力の信に有って自力の信に無いもの、自力の信に有って他力の信に無いものという議論をしたけど、そもそも他力の信というのは事実状態だけで構成されるものなのか、或いはその状態に加えてある種の思いを含んだものなのか、どちらと考えるのが適当…

3-15.信-有るものと無いもの

他力の信に有って自力の信に無いもの。 自力の信に有って他力の信に無いもの。 A君 祖師は「聞というは本願の生起本末を聞きて疑心あること無し。」と言われ、この如実の聞を本願回向の信であるとされているよね。 B君 うん。そうだね。 A君 祖師は、どう…

会話編 3-14 大信と大行

B君 A君はよく「阿弥陀仏に南無している心の状態」が信だというよね。 A君 うん。よく言うよ。 B君 その信の相は南無阿弥陀仏だから、その信が大行だと言うんだよね。 A君 うん。そうだね。 B君 祖師は称名が行だとされているけど、信も大行だと言うの…

1-27.念仏-念仏に付与される主観的意味合いは何によって決まるのか。

※7/5に修正し、差し替えました。 真宗でいう念仏とは口で南無阿弥陀仏と称えることです。口で称えるというのは、自分の体の声帯を使い、聴覚によって知覚され得る音に変換することをいいます。念仏は称える者の心相ないし思いという心的要素、南無阿弥陀…

6-4(3).質問と回答 4の続き(2)

質問4の続き(2) 質問ですが、法蔵菩薩が阿弥陀仏になる際に、私を救うために、果てしない時間修行をし、阿弥陀仏の名号を作られたとのことですが、阿弥陀仏の視点で考えた時に、私に名号を渡す苦労と名号を作ったときの苦労を比較したら、渡す苦労なんて大…

6-4(2).質問と回答 4の続き

質問4の続き 法蔵菩薩から阿弥陀仏になるにあたり、48願成就しなければ仏にならないと誓われていますが、全ての衆生、虫、鳥、草木等の類全てを救い終えて初めて法蔵菩薩から阿弥陀仏になれるという意味ではなく、全ての衆生を救うために、法蔵菩薩が修行…

6-4.質問と回答 4

質問4 質問ですが、なぜ法蔵菩薩は、今現在救われていない人がいるにも関わらず、阿弥陀仏になることができたのですか? 48願が成就しなければ仏にならないと誓われており、10劫前に仏になったとのことですが、救われていない人がいる時点で仏になれな…

1-26.行の否定

観経下々品の称名念仏の勧め(転教口称)から分かることは、如来の救いにおいては、称名する以外のすべての行は往生の行として廃(廃立の廃)されている、あるいは廃されるべきだということ。大経願成就文の「聞其名号信心歓喜」の教えから分かることは、聞く以…

6-3.質問と回答 3

※6/3公開のものから加筆しましたので差し替えます 質問3 わかりやすい文章で、 いつも読ませていただいています。 質問ですが、18願を読んでいる限り、救われるには念仏をすることが必要だと思われますが、念仏せず、聞くだけで救われる根拠はなんでし…

1-25.観経と大経の信・行一致2 安心と起行

観経の上品上生に、至誠心、深心、回向発願心の三心が説かれていますが、善導の指南によれば定散十六観に共通する三心であるとされています。しかし、下々品に登場する臨終の悪人は善行はなく悪行ばかりの愚人であるとされていますので、自前で三心を具すこ…

1-24.観経と大経の信・行一致

観経の下々品には、善知識が臨終の愚人に対して妙法を説いたが、この愚人は苦に責められて念仏するいとまがない。そこで善友は、教えを転じて口称を勧め、「なんじ、もし仏を念ずるあたわずは、まさに無量寿仏の名を称すべし」と告げた。愚人はその勧めを受…

6-2.質問と回答(2)

最初の質問1に対する回答に関し、さらなるご質問を頂きました。質問部分を いくつかに分割してコメントないし回答します。 「質問前書き部分」 ご回答をいただいての率直な感想を申し上げさせていただきますと、「非常に難しい」 もっと正直に申し上げさせ…

6-1.質問と回答(1)

質問 私はまさに「如来の慈悲がいただきたい、わかりたい」と思っています。 それでこうしていろいろブログなどを拝見させていただいているのですが、なかなか腑に落ちません。「如来の慈悲が私に届いていると分かったとき、もらい方を問題としなくて良いこ…

3-13.念仏すれば救われますか? の質問にどう答えるか。

A君 真宗において、なかなか救われずに苦労している人は、どうしたら救われるのですか、念仏称えたら救われるのですか、と真剣に問われることがあるよね。君なら何と答える? B君 「救われる」という事をその人はどう考えているのでしょうか。浄土往生でき…

2-26.念仏はあっちとこっちをつなぐもの

念仏はもともと如来の側に属するものですが、如来の側と私の側とをつなぐものです。それが如来のお約束事です。 「如来のお約束事」とは、 如来が私を救済する手段として南無阿弥陀仏を選び取り、私に受け取らせん、称えさせんと誓ったのが如来の十七願のお…

2-25.真実の自己って何だ?

真実の自己を知れ、という人がいます。「真実の自己」というのは、どういうことでしょうか? 真実の自己を「知る」とはどういうことでしょうか? 「真実の自己」とは、自己という固有のものは存在せず因縁に従って生起し滅する自己のことでしょうか。 「知る…