2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

2-24.あっちとこっち

普段の思いや臨終の思いは信と無関係である、といわれます。臨終にどのような思いになっても信を得ていないとは言えないし、信を得たとも言えない、ということです。 どうして、そのようなことが言えるのか、考えてみましょう。 私の内心の意識や思いを仮に…

2-23.念を成じる

元祖の十七条御法語は、元祖の晩年の御法語であるとされています。その第十条には、 往生の業成は、念をもって本とす。名号を称するは、念を成ぜんがためなり。念すなわち懈怠するがゆえに。常恒に称唱すればすなわち念相続す。心念の業、生を引くがゆえなり…

2-22.声につきて決定往生の思い

声につきて決定往生のおもいをなせ。 煩悩のうすくあつきをもかえりみず、罪障のかろきをもきをも沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と唱えて、声につきて決定往生のおもひをなすべし。 法然聖人 つねに仰せられる御詞(二十七条御法語) 声につきて決定往生の思…

1-23.正定業と助業との違い

善導大師は、正行を「阿弥陀仏への礼拝、浄土三部経の読誦、阿弥陀如来の浄土の観察、称名念仏、讃嘆供養」をいうと指定され、そのうちの称名念仏を正定業、その他は助業とされました。 称名念仏を正定業とするのは、称名念仏が十八願に誓われているからです…

1-22.念々不捨者

元祖は、一念十念に往生すといへばとて、念仏を粗相に申せば、信が行をさまたぐる也。念々不捨者といへばとて、一念十念を不定におもへば行が信をさまたぐ也。故に信をば一念に生まるととりて、行をば一形にはげむべし。 禅勝房に示す御詞と言われています。…

5-2.地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く?

地獄に堕ちきった所で呼び声を聞く? “ 自力一杯求めて自分は善ができぬ悪人と知らされたとき、地獄は一定と地獄の 釜の底にたたき落とされると同時に如来の呼び声を聞いて助かる。”と説き、だから、“ 精一杯善をせよ。” と勧める人がいる。 これって、本当…