4-3.方向違い

 分かったことは、方向が違っていたということです。

 自分の努力次第で信を得られると思っていましたが、そうではありませんでした。自分に何かが足りないから救われないのだと思って努力していましたが、そうではありませんでした。既に如来は救うと言われていたのでした。私はその如来の慈悲に気づくだけで良かったのでした。信を得る上でよかれと思ってしていた行は如来の救いとは逆の方向でした。私が救いを求めて進もうとしていたベクトルの方向と如来の救いのベクトルとは真逆でした。私は如来からの救いを受け入れるだけで良かったのでした。如来の救いのベクトル(慈悲)は、「私の行はなにもいらぬ。そのまま救う。」ということでした。